また居た!歴史上の人物!
父の従弟が亡くなり、一か月となる。
父の母方の従兄弟は、20人居ることが分かった。父方の従兄弟は、16人?のようだ。なに?36人も従兄弟が居るのかぁ・・?私には、3人、、居るだけだ。
明和2年(1762年)に亡くなった下坂右四郎さんが先祖、、、なんだそうだ。
実は、家系図の写しが送られて来たのだ。有難うございます!!
父方の父、、私の祖父は、江上家から原家へ養子に来ている。父方の母、、私の祖母は、下坂家から原家へ嫁いできたのだ。
その先の下坂家を調べてみた。インターネットは便利だ。
どうやら、坂田郡下坂(現在の滋賀県長浜市)で鍛冶屋であったのが、関ヶ原の戦い以後、各地の大名に召抱えられ、越前(福井県福井市)・筑後(福岡県柳川市)・伊予(愛媛県松山市)等の各地に分かれたのだそうだ。
江戸時代に苗字を持っていて、柳川に近い久留米で同じ苗字なのだから、、、まぁ、、一族だったのだろう。
色々ネットを検索しているときに、琵琶湖で地震か地すべりかで、沈んでしまった地域があり、そこの辺に下坂一族は居たらしいが、湖底に沈んでしまい、その地に戻れなくなっている・・というような事を書いてあったのだが、、”お気に入り”に登録を忘れて、どこにあった記事なのか分からなくなってしまった。
たまたまだが、今週号のビックコミックにある『宗像教授異考録』は、その辺をやっている。次号が気になるところだ。
そして、一番驚いたのは、あの前田慶次の槍には、『下坂』とあるのだそうで、柳川藩主田中吉政に仕えた『下坂八郎左衛門』のことであろう、、と言うのだ!
二番目に驚いたのが、、まぁ、、歌舞伎とか浄瑠璃の事が分からないので、二番目なのだが、『伊勢音頭恋寝刃』に出て来る『青江下坂』の下坂は、刀の事なのだそうで、、、本当は『葵下坂』を言い換えたのだそうだ、、
もう、、この辺になって来ると、何が何だか、、。
とにかく、有名な刀工が先祖だったようなのだ。
まぁ、、現在、建築屋の端くれとして、施工図なるものを描くようになったのも、その辺があるのかも・・。
そうそう、次男が作った”ペーパーナイフ”、、親が言うのも何だが、出来栄え抜群だったなぁ、、。
親がやっている建築が”?”と感じたからか、『”バイオ系”をやるんだ』とか言ってるが、何かの職人さんもイイかもなぁ、、。
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