今日、ココログが壊れていた。新しいコメントを書き込めない事は、これまでも何回かあったが、、見ることも出来なかった。このブログが消し去られた状態だったのだ。 このブログにアクセスされた方、何とか大丈夫になったようです。 うーーーん、、しかし、携帯からは、まだアクセスできないようだ。今、書き込みしようとしているが、ネットにアップできるがどうか分からないなぁ、、。 ここまで長い時間アクセスできなかったのは、おそらく初めて。おまけに、、なんだ?文字が小さいなぁ、、。 さて、我が先祖の情報が分かってきたのは良いが、、うーーん、、イメージ、、負けてばかり。勝ったのは、藤原純友を撃退したときくらいかなぁ、、。 後漢が滅びる三国時代になる頃、、日本に帰化する、、まぁ、、逃げてきた訳で、、。東漢氏の一族となり、そのうちの、大蔵の一族の子孫大蔵春実が藤原純友の乱を治めるのだ。 その後、大蔵一族が大宰府周辺に土着し、その子孫のうち、江上氏が筑後の江上に土着する、まぁ、、だから江上となる訳だ。 その後、元寇と戦ったりするのだが、まぁ、、あれは本当は負けていたはずが、神風?が吹いて助かるわけで、、。 しかし、ご苦労にも、その後の南北朝では、南朝に味方してしまうし、、まぁ、だからこそ、少弐氏の付き合いが始まるわけだ。でも、その少弐氏の家老?であった江上と龍造寺だったが、龍造寺の謀反で少弐は滅びてしまう。まぁ、江上はこの時、龍造寺にやられてしまい、佐賀神崎の勢福寺城から筑後の江上城に戻る。 しかし、その江上に、龍造寺は養子を出したりして、その後の江上は、龍造寺や鍋島と繋がって行くわけだ。まぁ、良い血筋が欲しかったのだろう・・。 で、次の大敗が、沖田畷で、龍造寺が島津有馬に敗れる。だから、ここでも”負ける”わけだ。
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