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2008年11月22日 (土)

”まぼろしの邪馬台国”を観て来た。

”まぼろしの邪馬台国”を観て来た。

実は、19日は葉隠フォーラムへ、20日は、その葉隠フォーラムの方達からのお誘いで、春風亭正朝さんの独演会へ行き、落語を聴いて来たのだ。

私の生まれが九州福岡は筑豊であり、祖父の出が現在久留米市の三潴郡城島町であったからか、”葉隠武士道”の考え方の方が”気性に合っている”のだと思っている。

どうしても、江戸の武士道は儒教の影響があり、”キッチリ”が過ぎると思う。トップダウンは、やり易かっただろうが、ボトムアップは望めなかったのではないだろうか?テレビでやっているような、暴れん坊将軍吉宗ではなかったはずだ。乱暴な言い方としては『吉宗、水野、松平はトップダウンであって、ボトムアップではない』と思う。

江戸時代の改革者で有名な方は、”上杉鷹山”が上げられるが、鷹山の改革はボトムアップであったと思う。漆で蝋燭を作ったときは、どこもかしこも漆を植えて廻ったらしい。それも、自らが行ったそうだ。士農工商のルール破りで、ある意味ボトムアップと思う。

ちなみに鷹山は、秀吉の九州征伐で筑前秋月藩から日向高鍋藩に移封された高鍋から、山形米沢の上杉に養子として行った人だ。

この秋月氏は、大蔵の一族で、原田・江上・高橋・田尻・美気・原や、古賀・枝吉・米倉と同族と言われている。

で、この中の”江上”に龍造寺隆信が目を付けたのか?三男を養子に出し江上家を乗っ取る?のだ。そして、その龍造寺が滅ぶのは、島原沖田畷(おきたなわて)の戦いで有馬・島津に敗れたからだ。

その後、龍造寺の家老であった鍋島が後を継いで行くわけだが、この鍋島藩に”葉隠”の教えが言い伝えられる訳だ。参加しているフォーラムでは、”葉隠武士道は仏教から出ていて儒教ではない”という点で異なるとして説明されている。

で、話しは長くなったが、”まぼろしの邪馬台国”を書いた宮崎康平氏は、元島原鉄道社長であるが盲目で、奥さんと一緒に本をまとめ上げたのだ。すごい!!

宮崎氏の説は、”島原に邪馬台国があった”と言う説なのだ。

まぁ、、ここまで来れば、私が今日の映画を観た来た理由がお分かりだろう。

そうそう、、私の祖父は、江上村江上の江上本家から原中牟田原の原本家に養子に行った人だ。しかし、、江上自体は、佐賀の神埼に移住しているはずなのに、、?うーーん、、?わからん?

私は、建築施工図をやっている会社を経営しているが、仕事のやり方はボトムアップを正しいと思っている。だから、『あの人がこう言ったので、こうしました』という者が居ると、腹が立って仕方が無い。

さて、映画の内容だが、、中々、良いですよ。

内容とは離れるが、吉永小百合さんは、、何で、あんなに綺麗でいられるのかねぇ、、。映画を観終わって廊下に出てきたとき、横を歩くおばさん達が『女から見ても綺麗なんだから、男が好きになるのは当たり前だネェ、、』と言ってたが、まさにその通り。

おぉぉぉぉ、、もう11時30分だ。

実は、”晴れの日の石神井公園”を撮ってきた。説明なしで載せるか、、明日にしよう。

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