”かもめの水兵さん”
昨日の”かもめ”だが、、『かもめの水兵さん』という歌を思い出した。
河村光陽氏の作詞だ。私の田舎である福智町の出身で、他には『うれしいひな祭り』などがある。正しくは、旧赤池町の上野(あがの)なのだそうだ。
”・・そうだ”と言うのも、歌は知っているが、お名前が記憶に無いからだ。まぁ、、失礼な話しだ。
『人の記憶に残る』って、トンでもなく大変な事だと思う。『記録に残るより、記憶に残りたい』などと、有名スポーツ選手などは口にする。
普通、その人の存在すら残らない。どこで生まれ、何をして、死んでしまうか?まったく残らない。しかし、『何とか、自分が生きている間は、”あの人”の記憶を残しておきたい。』という人が何人か居る。一番は、昨年舌癌で亡くなったUさんだ。
九州で施工図を描いてもらったが、最大の仕事は、↑上にあるFテレビの地下と屋上の図面だ。その事を記憶出来ている者は、現場に居て、その施工図担当していた私だけだ。本当に助かった。
地下は、何とか分かった。だが屋上は、描いてもらった図面を見て、初めて『あぁ、、こうなってるのかぁ、、。』と、理解できた。
その後、『施工図を作図していると、後進の指導に時間を割けないから・・』と、構造図の作図依頼を請けてやってもらうことになったが、結局は、施工図みたいに詳しい構造図を描くので、、、どうだろう?思ったような指導は出来なかっただろうと思う。
まぁ、、もっとも、私の営業不足の方が、もっともっと問題で、『指導するヒマも無いくらい、仕事を取って来い!』と怒られたものだ。
さて、私自身も、人の記憶に残る?は難しいだろうが、”会社”の方は残せないだろうか?”後継者”と言っても、あまりに人が少なすぎる。まぁ、これでは誰も手をあげることはしないだろうなぁ、、。
かもめの水兵さん、ならんだ水兵さん、白い帽子、白いシャツ、白い服、、、
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