先祖と歴史

2009年7月 5日 (日)

また居た!歴史上の人物!

父の従弟が亡くなり、一か月となる。

父の母方の従兄弟は、20人居ることが分かった。父方の従兄弟は、16人?のようだ。なに?36人も従兄弟が居るのかぁ・・?私には、3人、、居るだけだ。

明和2年(1762年)に亡くなった下坂右四郎さんが先祖、、、なんだそうだ。

実は、家系図の写しが送られて来たのだ。有難うございます!!

父方の父、、私の祖父は、江上家から原家へ養子に来ている。父方の母、、私の祖母は、下坂家から原家へ嫁いできたのだ。

その先の下坂家を調べてみた。インターネットは便利だ。

どうやら、坂田郡下坂(現在の滋賀県長浜市)で鍛冶屋であったのが、関ヶ原の戦い以後、各地の大名に召抱えられ、越前(福井県福井市)・筑後(福岡県柳川市)・伊予(愛媛県松山市)等の各地に分かれたのだそうだ。

江戸時代に苗字を持っていて、柳川に近い久留米で同じ苗字なのだから、、、まぁ、、一族だったのだろう。

色々ネットを検索しているときに、琵琶湖で地震か地すべりかで、沈んでしまった地域があり、そこの辺に下坂一族は居たらしいが、湖底に沈んでしまい、その地に戻れなくなっている・・というような事を書いてあったのだが、、”お気に入り”に登録を忘れて、どこにあった記事なのか分からなくなってしまった。

たまたまだが、今週号のビックコミックにある『宗像教授異考録』は、その辺をやっている。次号が気になるところだ。

そして、一番驚いたのは、あの前田慶次の槍には、『下坂』とあるのだそうで、柳川藩主田中吉政に仕えた『下坂八郎左衛門』のことであろう、、と言うのだ!

二番目に驚いたのが、、まぁ、、歌舞伎とか浄瑠璃の事が分からないので、二番目なのだが、『伊勢音頭恋寝刃』に出て来る『青江下坂』の下坂は、刀の事なのだそうで、、、本当は『葵下坂』を言い換えたのだそうだ、、

もう、、この辺になって来ると、何が何だか、、。

とにかく、有名な刀工が先祖だったようなのだ。

まぁ、、現在、建築屋の端くれとして、施工図なるものを描くようになったのも、その辺があるのかも・・。

そうそう、次男が作った”ペーパーナイフ”、、親が言うのも何だが、出来栄え抜群だったなぁ、、。

親がやっている建築が”?”と感じたからか、『”バイオ系”をやるんだ』とか言ってるが、何かの職人さんもイイかもなぁ、、。

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2009年7月 1日 (水)

今日、ココログが壊れていた。新しいコメントを書き込めない事は、これまでも何回かあったが、、見ることも出来なかった。このブログが消し去られた状態だったのだ。 このブログにアクセスされた方、何とか大丈夫になったようです。 うーーーん、、しかし、携帯からは、まだアクセスできないようだ。今、書き込みしようとしているが、ネットにアップできるがどうか分からないなぁ、、。 ここまで長い時間アクセスできなかったのは、おそらく初めて。おまけに、、なんだ?文字が小さいなぁ、、。 さて、我が先祖の情報が分かってきたのは良いが、、うーーん、、イメージ、、負けてばかり。勝ったのは、藤原純友を撃退したときくらいかなぁ、、。 後漢が滅びる三国時代になる頃、、日本に帰化する、、まぁ、、逃げてきた訳で、、。東漢氏の一族となり、そのうちの、大蔵の一族の子孫大蔵春実が藤原純友の乱を治めるのだ。 その後、大蔵一族が大宰府周辺に土着し、その子孫のうち、江上氏が筑後の江上に土着する、まぁ、、だから江上となる訳だ。 その後、元寇と戦ったりするのだが、まぁ、、あれは本当は負けていたはずが、神風?が吹いて助かるわけで、、。 しかし、ご苦労にも、その後の南北朝では、南朝に味方してしまうし、、まぁ、だからこそ、少弐氏の付き合いが始まるわけだ。でも、その少弐氏の家老?であった江上と龍造寺だったが、龍造寺の謀反で少弐は滅びてしまう。まぁ、江上はこの時、龍造寺にやられてしまい、佐賀神崎の勢福寺城から筑後の江上城に戻る。 しかし、その江上に、龍造寺は養子を出したりして、その後の江上は、龍造寺や鍋島と繋がって行くわけだ。まぁ、良い血筋が欲しかったのだろう・・。 で、次の大敗が、沖田畷で、龍造寺が島津有馬に敗れる。だから、ここでも”負ける”わけだ。

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2009年6月28日 (日)

歴史上の人物が、一族に居た!

親父の従弟である叔父が亡くなったので、昔の写真を整理し、HP風にして送った事を切っ掛けに、先祖の事を調べた、、いや?”確認していた”だなぁ、、、。結構知っているつもりだったから、、。

いや、実に驚いた。いつものように”江上 大蔵”とか”江上 家系図”などと、ネット検索していたら、何故か”会津”に、”土方歳三”まで出て来るのだ。

いやいや、うちは九州の久留米に本家があるんだよ、、何で会津が、、おまけに土方歳三まで、何のことだ?

秋月登之助・・?

本名は江上太郎 。伝習第一大隊隊長・・・・なんと、会津藩が江戸藩邸を引き払うときに脱藩して、江上から秋月に名を変えたのだそうで、宇都宮城を攻めるさい、土方歳三を参謀として戦った人らしい・・・

うーーん、何となく、戊辰戦争の、宇都宮攻めは、、そんな話を聞いたことがあるような、、。だからと言って、何で大蔵の一族の江上とか秋月が出て来るんだ・・?

江上は、現在の福岡県久留米市に、先ごろの市町村合併した城島町にある。昔々は江上村江上で、その隣は原中牟田だ。私の祖父は、江上本家の次男であったが、原中牟田の原本家に養子へ行ったのだ。だから、私は”原”である。

その江上の地に、藤原純友の乱を鎮めるため九州に下向した大蔵春実の子孫である四郎種光が分家して、江上城を築き”江上氏”となった、、というのは、うろ覚えではあるが、以前から調べていた。この大蔵春実は、”前漢初代皇帝「高祖(劉邦)」の流れを汲む後漢の霊帝を祖とする”と言うのだから驚きだろう、、。

しかし、佐賀の神崎にある勢福寺城に行ってしまった?と思っていたので、誰も江上の地に残っていなかったのかと思っていた。ところが違ったようだ。まぁ、、そりゃそうだろう、、そんなに遠くはないしなぁ、、。

何代にもわたる歴史の中では、元寇と戦ったり、応仁の乱を戦ったりしたようで、中々由緒ある家系なのだ。龍造寺や鍋島よりも、出自がはっきりしている家系であることに驚かされる。

まぁ、、途中は、あまりにも色々あるので割愛して、、最後は、龍造寺隆信が島原の”沖田畷の戦い”で島津有馬軍に敗れ、江上の武将は、ほとんど討死してしまうのだ。その後、豊臣秀吉が九州征伐をしたところで復活はするが、、龍造寺と一緒に没落していき、同じ家老の鍋島が肥前を納めることになってしまう。

龍造寺は、鍋島に譲った形になっていたが・・?

ところがだ!!、『鍋島藩は龍造寺のものだ!』と主張する龍造寺伯庵が現れ、大騒ぎとなるのだ。化け猫騒動の話が出て来るくらい、江戸時代に入っても佐賀藩は、もめていたようだ。

で、、事の決着は、、なんとなんと!”会津藩に、永の預かり”となり、その時に一部の江上も会津へ行き、会津藩士になっていたようなのだ。

やっと、、、繋がった。

幕末の頃、会津藩士として”江上”が居たのだ。何と!土方歳三を参謀として、一緒に戦っているのだ。

どうも、相手が何時も”島津”のようで、連続で負けている。まぁ、、その後の西南戦争では、逆となる訳だから、、。

と、まぁ、、そんな事を調べていた、、と言うか、ネットサーフィンをしていたら、ブログはお休みになった訳だ。

でもなぁ、、こんな話を家族にしても、、『うざい・・』で終わるなぁ、、きっと、、。

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2008年11月22日 (土)

”まぼろしの邪馬台国”を観て来た。

”まぼろしの邪馬台国”を観て来た。

実は、19日は葉隠フォーラムへ、20日は、その葉隠フォーラムの方達からのお誘いで、春風亭正朝さんの独演会へ行き、落語を聴いて来たのだ。

私の生まれが九州福岡は筑豊であり、祖父の出が現在久留米市の三潴郡城島町であったからか、”葉隠武士道”の考え方の方が”気性に合っている”のだと思っている。

どうしても、江戸の武士道は儒教の影響があり、”キッチリ”が過ぎると思う。トップダウンは、やり易かっただろうが、ボトムアップは望めなかったのではないだろうか?テレビでやっているような、暴れん坊将軍吉宗ではなかったはずだ。乱暴な言い方としては『吉宗、水野、松平はトップダウンであって、ボトムアップではない』と思う。

江戸時代の改革者で有名な方は、”上杉鷹山”が上げられるが、鷹山の改革はボトムアップであったと思う。漆で蝋燭を作ったときは、どこもかしこも漆を植えて廻ったらしい。それも、自らが行ったそうだ。士農工商のルール破りで、ある意味ボトムアップと思う。

ちなみに鷹山は、秀吉の九州征伐で筑前秋月藩から日向高鍋藩に移封された高鍋から、山形米沢の上杉に養子として行った人だ。

この秋月氏は、大蔵の一族で、原田・江上・高橋・田尻・美気・原や、古賀・枝吉・米倉と同族と言われている。

で、この中の”江上”に龍造寺隆信が目を付けたのか?三男を養子に出し江上家を乗っ取る?のだ。そして、その龍造寺が滅ぶのは、島原沖田畷(おきたなわて)の戦いで有馬・島津に敗れたからだ。

その後、龍造寺の家老であった鍋島が後を継いで行くわけだが、この鍋島藩に”葉隠”の教えが言い伝えられる訳だ。参加しているフォーラムでは、”葉隠武士道は仏教から出ていて儒教ではない”という点で異なるとして説明されている。

で、話しは長くなったが、”まぼろしの邪馬台国”を書いた宮崎康平氏は、元島原鉄道社長であるが盲目で、奥さんと一緒に本をまとめ上げたのだ。すごい!!

宮崎氏の説は、”島原に邪馬台国があった”と言う説なのだ。

まぁ、、ここまで来れば、私が今日の映画を観た来た理由がお分かりだろう。

そうそう、、私の祖父は、江上村江上の江上本家から原中牟田原の原本家に養子に行った人だ。しかし、、江上自体は、佐賀の神埼に移住しているはずなのに、、?うーーん、、?わからん?

私は、建築施工図をやっている会社を経営しているが、仕事のやり方はボトムアップを正しいと思っている。だから、『あの人がこう言ったので、こうしました』という者が居ると、腹が立って仕方が無い。

さて、映画の内容だが、、中々、良いですよ。

内容とは離れるが、吉永小百合さんは、、何で、あんなに綺麗でいられるのかねぇ、、。映画を観終わって廊下に出てきたとき、横を歩くおばさん達が『女から見ても綺麗なんだから、男が好きになるのは当たり前だネェ、、』と言ってたが、まさにその通り。

おぉぉぉぉ、、もう11時30分だ。

実は、”晴れの日の石神井公園”を撮ってきた。説明なしで載せるか、、明日にしよう。

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2008年10月 8日 (水)

予定に無い”動線”

昨日は、有楽町電気ビルに行ってきた。福智町の物産展(規模は小さいけど)をやっていたからだ。

昨年は『どんだけ~フェア』と銘打っていたが、今年は、開催している事すら知らなかった。たまたま、都営新宿線の大島で”動線シミュレーション”の打合せがあり、帰りの電車の中でメールチェックをしていたら、、『今から、物産展に行ってきます、、』などというメールが入っていたのだ。

市ヶ谷で乗り換えをして大泉学園に帰るつもりだったが、急遽変更して、反対方向の有楽町に向った。電車の中から、有楽町にあるI建設に勤める、高校の同級生K君に、『赤池梨を買いに行かないかい』とメールをして呼び出した。

赤池梨は、とにかく甘い。美味い。

しかし、有楽町から持ち帰るには、ちょっと大きい。何せ、私の分とK君の分、合わせて6個も持って、K君が来るのを待つと、ビニール袋が指に食い込んでくるくらい・・・大きい。

当然だが、”一杯やるか”と言う話しになった。我が建築業界の悲惨な状況を、話し合うチャンスでもある。

時間は、6時前。客は、誰も居ない状態。一人3個の梨は、重いので、1個づつ2個を、お店の人に『後で食べてください』と渡して、呑み始めた。店長クラスの女将さんが好みの美人だったからもある、、かなぁ、、?

話が弾んでいる最中に、電話の嵐。赤池のYさんや、博多に引っ越したJ子さん。そして、驚くような特許を持つFさんからもあった。

ヒョイと思いつき、Fさんに電話を掛け直し、『今、有楽町なんですけど、来ませんか?』の一言。電車を千駄ヶ谷で降りてもらって、こちらに来てもらった。

実は、Fさん、建築に係る特許技術の売込みが幾つも来ていて、判断に迫られると、その度に、『建築業界は、どうなんですか?』の質問が、私に来る。じゃぁ、、目の前に居るK君を紹介すれば、、、と思ったからだ。

まぁ、、酒が入れば『ドバイ辺りに、売り込もう!』と気勢は上がる訳で、楽しい時間を過ごせた。

さてさて今日は、夕方から『葉隠』の集まりがある。本日は話の中に、『大蔵の一族』の部分が、多く出てきそうだ。ちょっと楽しみだ。

!!!!!なんと!集まりは、、、明日だよぉ、、飲み過ぎかなぁ、、、。

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2008年7月24日 (木)

過即勿憚改

未だに、Autocadに慣れないでいる。おそらく、我社の社員の1/10?いや、それ以下のスピードで、おまけにデータ的には”なんじゃこれ?”という気付かないチョンボをしていると思う。

そんな中、夕方より求人面接を行った。オペレータではなく、調整作業ができる施工図屋を目指してほしいが、もっと上の目標を持っていた。うーーん、相当難しいけど、良いんじゃないかなぁ、、。

しかし、昨日は、”最初はグー!でも、終わりは、どれもこれも上手く行かない”というものが続いた気がする。図面訂正・・。求人面接・・。そして最後は、飲み屋で・・。この飲み屋は、チョイ?最悪だったかな、、。

まぁ、、とにかく、『過ちて改むるに憚ることなかれ』である。これが分からない頑固者に対応するのは疲れる。彼は、間違いに気付いても”絶対に間違ってない”と言い張る。外堀を埋め、天守閣に火を付けるところまで、こちらにやらせる。冗談じゃない、そこまでしたくない。しかし、プライドが高すぎる。高い鼻を折ってしまわずとも済むように話をしているのだが、完璧に折られるまで言い張る。酔いが醒める。

まぁ、、客同士の話しならば分かる。しかし、そうではない。客(私)とカウンターの中(店の者)の話しで、それはないだろう?そこまで、こっちに言わせるのかな?

儒教の武士道と、仏教の葉隠れ武士道の違いかなぁ、、?

今調べたら、『過即勿憚改』と漢文では書くそうだ。

過ちて 改むるに 憚ることなかれ (あやまちて あらたむるに はばかることなかれ)

ちなみに、かの上杉鷹山の話しだか、山形米沢藩←宮崎高鍋藩←福岡秋月←大蔵の一族⇒原田・高橋・江上・田尻・・秋月・・原・古賀⇒肥前龍造寺⇒肥前鍋島⇒葉隠れ と繋がる。 ただ今、勉強中・・・に近付くようにしているところ、、。

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2008年7月16日 (水)

このノートパソコンも、、古いよなぁ、、。

パソコンが壊れたかと思った。

いやぁ、、ノートパソコンの小さなメモリーで、CADを使う事は危険かもしれない。もっとも、Autocadで、モデル空間で作業している分には大丈夫なのだろうけど、ペーパー空間に、やたら書き込みしようとしていると、、、、プッン!とフリーズしてしまう。

まぁ、私のやり方がまずいのだろう。しかし、訂正する元データが、ペーパー空間で作図してあって、今の私には、どうする事もできない。後で、社員の誰かに電話して、やり方を教わらないと、、。

何故か分からないが、何度も、何度も、再作図?という表示になって停まっている間に、溜まっている新聞を読んだ、、、。

7月7日の、日経夕刊の記事に『夏は、家系図、つくろう』と言うのがあり、興味を持った。これも、以前書いたと思うが、実は手描きで作成した事があったのだ。

祖父が、『江上』から『原』に養子に行ったところから、複雑で、と言うか情報が無くて、叔母と二人で作成したのだ。『江上』『原』ともに筑後だ。

その後、母に聞き、父が一番曖昧で、でも、何とか作り上げたのだが、何と、その家系図が役に立ってしまった。

その家系図を作った年の暮れ、一番詳しく話してくれた叔母が亡くなったのだ。

叔母夫婦は、子供がいなくて、叔父は既に亡くなっていたいたので、叔母は一人住まいだった。変な話だが、叔母の身の始末をつけるため、東京住まいの私を福岡久留米まで呼び寄せたのかもしれない。

家系図を作るソフトがあると書いてある。相当詳しく作れるらしい。競馬などをやっている人には重宝するのかもしれない。

今、一番気になるのは、”家紋”が分からない事だ。信じられないが、父に聞いても”わからない”で、終わってしまうのだ。困ったもんだ。

祖父は養子に行ったが、嫁は、すぐに亡くなってしまったのだそうで、後妻として祖母が来たのだ。旧姓は『下坂』。祖母の母は旧姓『後藤・・らしい』。ともに筑後の出だ。

大正時代の話しだ。まぁ、、祖母は、、?いじめられた、、だろう。息子も娘も、養子なのだ。

祖父は、私が生まれる前に亡くなっていたから、私が物心付いた頃は、祖母の天下となっていた。祖母と母は、当然のようにバトルがあった。しかし、その祖母が亡くなる頃、祖母が一番頼りにしていたのは、娘でも息子でもなく、嫁に来た母だった。母の旧姓は『亀田』。母の母は旧姓『村田』。

さて?祖父の葬式は、私が生まれる前だから、家紋に何を使ったか、まったく分からない。祖母の葬式のときは、そう言う事に興味も無かったので、これまた、まったく分からない。

まぁ、、何とか作ってみようと思う。

しかし、、、こうもフリーズして、新聞ばかり読むのでは、仕事が間に合わない。もう少し、CADに慣れないといけない。

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2007年1月12日 (金)

東部劇か・・・これより三役

昨日、そうだ!相撲だ!と思ったとき、既に魁皇は、同じ福岡県出身の琴奨菊に敗れていた。

しかし、琴欧洲-露鵬から観ることが出来た。旭天鵬-白鵬と続き、朝青龍-時天空ときた。うーーーん!これが千秋楽であったなら、『これより三役』は全て外国出身力士・・と言うことになる。

以前、西部劇と大蔵省と言う題で、このブログに書いたが、私自身の血筋が確りしたものであるならば、私は中国人なのだ。ただ、1000年以上前に日本に来たか、最近来たかに違いがあるだけだ。

同じ土俵に上がって勝負しないと、比較検討できない。建築施工図の力量を測るに、現場常駐している者と、持ち帰り支援している者の比較は、簡単にはできない。互いに、相手の文句ばかりを言う事になる場合がある。まとめて行く手法が異なる場合、話は平行線となる。不毛だ。

今年の年賀状に、上に書いてある『大型テレビ安くなりました。IP電話は無料です。図面屋はネット派遣になる時代が来ました』と書いて出した。40インチの大型テレビを購入したことで”説明できる!”と思ったからだが、狙いは当然『同じ土俵』である。雰囲気は、40インチの大型テレビを見て欲しい。

まぁ、、しかし、隣の席に座っているのに、メールでしか話ができない奴もいるし、、無理な点もあるかもしれない。だが、やってみよう!

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2006年9月19日 (火)

地価が上がった

お祖父ちゃんへ、家紋については、http://www2.harimaya.com/sengoku/html/h_egami.htmlを見てください。

という事で、丸に隅立つ四つ目結は、江上です。栄さんが、『うちは梅鉢だった。』と言ってました。ですから、『原』の紋は、いずれでもないと思いますよ?

以上、お祖父ちゃんへ連絡でした。

さてさて、『自分史』を作るのは構いませんが、大変だと思います。ある意味、先日書いた文化祭や体育祭のことだって、自分史に入れるべきでしょうからね。

さて、もう一つ。東京の地価は、確実に上がってきたようです。

自宅を建売で購入して8年になりますが、返済より、地価の値下がりの方が早くて、焦っていました。まぁ、、、まだ、逆ザヤですけどね、、。アメリカの景気が?だけに、この値上がりは?本当なのかなぁ、、。

まぁ、、本日も、新しい仕事の話が来ていますので、半分?本当なのでしょう。ある程度、借金の返済が進まないと、信じられませんけどねぇ、、、。でも?何とか手持ちの仕事は続きそうです。

さて、さて、『安馬って凄いね』などとメールが届きました。そこで、最後の2番、相撲を観ました。どぉも?白鵬は?何だか変・・・。朝青龍はぁ、、強いなぁ、、。と、3人の力士が全部モンゴル出身だ。まぁ、、強いから仕方ないね。残念だが白鵬の横綱はぁ、、難しいな。何か一つ、型みたいなものが欲しい。

皇牙は、7勝目。勝ち越しに後一番だ。まぁ、九州場所の十両は確保できた。そうそう、昨日、画家のA君からもらった大分産の”かぼす”を、鹿児島料理の店”しま津”に持っていったら休みだったようで、ドアの取っ手にぶら下げて帰ったのだが、先ほどお礼の電話が来た。また、A君が上京してきたら、この鹿児島料理の店に行くかな。

さぁて、明日は、朝から品川だ。またしても、新規の現場に行けることになった。Hさん、頑張ってね!我社で紅一点。現場も和むでしょう。実力もついてきたようです。親父さんも喜ぶ事でしょう。

うーーんと、、、たまった新聞を読んでしまわないとな。営業情報の山だ。

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2005年11月27日 (日)

西部劇と大蔵省

『大蔵の一族』と言って、何だか分かるだろうか?

漢の高祖が、日本に帰化し、大和朝廷の官物を納めた蔵である大蔵に仕えたことから、大蔵を氏として朝臣の姓を賜ったといわれるらしい。そろばん勘定が上手かった人達だったのだろう、大蔵省の大蔵の語源と聞いた事がある。この一族が藤原純友の乱を鎮めるため、九州に来たようだ。その後大宰府?を中心に子孫が広まったようで、原田・高橋・江上・田尻などの祖となったようだ。私の苗字である原も、その一族であるようだが、実際は祖父が江上から原に養子に出ているので、いずれにしても大蔵の一族の端くれかと思う。先日、久留米市と合併した城島町に江上と原が地名にあるが、その江上が本家だ。

何が言いたいかというと、日本は、ある時期に人口が倍増しているのだが、それは何故かと言うと、生活環境が改善されたからではなく、大陸から多くの帰化人が一挙に来て増えたと言われている事だ。自然増では説明が付かない。

そう、先祖の先祖は中国人!であったわけだ。

大陸からの帰化を、私なりの話し方では、『東部劇』と呼んでいる。アメリカ合衆国の西部劇。その東洋版だ。

大蔵⇒原田⇒秋月 この秋月は、後々の宮崎、高鍋藩の祖となる。かの有名な上杉鷹山は、この高鍋から米沢の上杉に養子に行ったのだが、アメリカ大統領ケネディが唯一知っていた日本人が、この鷹山公であったと言われている。

しかし、大蔵省も上杉鷹山も、言い方によれば中国人なのだ。血筋が確りしていればいるほど中国人という事になる。

さて、本題。

今日、私の応援している魁皇が朝青龍に負けて、チョイと残念。しかし、朝青龍はこの一番で優勝を決めた。7連覇というトンでもない記録を作った。彼は泣いていた。しかし、座布団が舞っていた。あれは?何故か?地元魁皇が負けたから?まぁ、それもあるだろうが、朝青龍がモンゴル人だからだろう。うーーん、チョイと良くないねぇ、、。

実は、昨年、この魁皇の写真付き切手を作り、販売した。朝青龍の7連覇の前の優勝者が魁皇だった。

しかし、この魁皇、本名:古賀は、やはり大蔵の一族のようだ。えぇっ!?

遠い過去から現在、日本列島は『東部劇』の終点の地であった訳だ。シルクロードをさかのぼり、遠く西の果てブルガリア、グルジア、モンゴルから歴史を作る勇者が集まる。その『東部劇』を今に伝えるのが大相撲だ。だから国技なんだ。昔々、海を渡る度胸のあった者たちが日本人と呼ばれ、現在に至っていると信じている。

追記:大分県日田市にある日田神社は大蔵の一族を祭った神社だそうで、何と!相撲の神様なのだ。

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