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2009年9月 6日 (日)

無償の愛・・には、程遠いが、、。

先週行われた衆議院議員選挙で、当選した人の年齢を見ていると、、うーーん、、どう見ても、自分の年齢は、”既に新人と呼べる年齢ではない”事が分かる。

『自分の親は死なない。死というものに、縁は無い。まだまだ時間はある。』などと思っているような、、そんなつもりはなかった。ある程度、自覚した大人のつもりだった。

社員を募集するにあたり、『施工図屋は、現場の仲人であったり、信号機であったりする。だから、ある意味、”受けて立つ”くらいの気力がないと困る。注目を浴びる経験をした者、男なら喧嘩の強そうな奴、女なら別嬪さんがいい』などと口にしていた。

しかし、どうだろう?私自身、どれだけの事に対し、受けて立てていただろうか?

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一昨年の11月23日。19年の間、一緒に仕事をして来た取締役のUさんが亡くなった。

昨年の7月29日。私の父が亡くなった。我社の経理を20年間、しっかりと見てもらった。

今年の6月5日。父の従弟が亡くなった。私が生まれた昭和29年に、父達が共同で設立した会社の常務だ。父は専務だった。

翌月の7月15日。母の兄が亡くなった。父達が設立した会社の社長だ。

そして8月4日。母が亡くなった。

ここまで続くと、意識しなければいけない、、はず、、なのだが、自覚が無い。大事な人は、5人全てが九州に居た。私は東京で生活している。”目の前の出来事”として捉えきれていないのだろう。

そりゃぁ、、東京では、社長として仕事をしている。九州大阪のメンバーを加えれば、20名以上の人たちに働いてもらっている。

しかし、残念ながら、彼ら一人ひとりの事を、四六時中思い起こせている訳ではない。つい最近亡くなった両親の事さえ、しっかりと考えられないでいる。

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人を思う気持ちは、それなりには”ある”つもりだ。しかし、無理して”忘れる”のではなく、本当に”忘れている”時が、ほとんどなのだ。

昨日、『96時間』という映画を観て来た。娘を思う気持ちが、凄いパワーとなって、事件解決に突き進むのだが、、。

”自分の命など関係ない”と思えるくらい、人を好きになったり愛したり、、そう出来たら、ある瞬間かもしれないが、本当に満足の行く人生になるのかもしれない。

まぁ、、どう考えても、今の自分には無い。片鱗すら無い。

本当に人を好きになったり愛したりすると、”見返りを求めてしまう自分”が居て、どう考えても、”本当”ではなくなってしまうという、おおいに矛盾したものになってしまい、収拾がつかない。

何でも全てが、計算されたかのように動かせるなら、まだ格好も付くかもしれないが、そこまで切れ者ではない。じゃぁ無償の愛を貫く事が出来るか、と言えば、それはもっと出来ないでいる。

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母の葬儀の時、皆さんの前で話す機会を得た。

夏目漱石の『草枕』を使わせて頂いた。

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

と言う、あれだ。

父は、どうも親類や社員からは嫌われていたところがある。智に働くタイプだったからだろう。母は、筑豊の女だったと思うが、情に棹さし流される部分を、結構持っていたタイプだったと思う。ある意味、父より”お世話になりました”という人が多かった。

私はどうだろう?

中途半端であることは間違いない。大きくなれない人間だ。智に働くには、勉強不足。情に流されるほど優しくない。意地を通すほどの”意地”を持ってない。

従って、中興の祖となる人物でも入社して来ない限り、我社は伸びない。

まぁ、、”ぼちぼち”は、伸ばせるかもしれないが、それでは間に合わない。

ただ、急激な変化だけは、ご免被る。今回の”構造改革”のように、正しいかもしれないが、急激なのはダメだ。

どんな小さな会社でも、何でもかんでも○か×で答えられるようなものが、あるはずが無いからだ。

そうそう、、文句を言っても構わない相手が居る間は、成長できないのだと思う。

そういう意味では、私は”これから”なのかもしれない。

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