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2009年8月19日 (水)

鼻タケその後と、父の自分史、、途中まで

昨日の鼻タケの手術は、上手く行った、、、ようだ。

実は、すぐにガーゼで塞がれたため、空気の通りがどんなものか、確認する間もなかった。

右側だけの手術だ。当然だが、両方やると、口で息するしかない。しかし、片方だけだが、息苦しくて眠れなかった。明後日の金曜日は、事務所に行く前に病院へ行って、鼻を開通してもらう予定だ。これじゃぁ、、眠れない。おまけに、歯の方がよろしくない。歯茎がまた腫れて来た。早く、歯医者の方へも行かないといけない。

しかし、手術と言っても、結構簡単なもので済んだ。麻酔の時間がやたらと長かったのと、術後の点滴(何かなぁ、、あれはぁ、、)が、長かった。

点滴の間、一緒に並んで点滴をした、お婆ちゃんが居た。生年月日が聞こえて来た。『明治44年7月7日・・』 いったい幾つのお婆ちゃんなんだ?おそらく98歳かな?凄い!!

さて、姉のパソコンに、父が描き掛けた自分史があった。あちこち書き散らかしたままで、数ページしか残っていないが、掲載してみようと思う。どうも、読み直しをしていないようで、あちこちにおかしな文章があるが、そのまま掲載するが、上手く読んでみて欲しい。

=========原 久夫 少尉 だったと思う========

            常葉三0八七一部隊

   第一章  兵  食        兵 要 地 誌

   今の自衛隊の食事はどんなものか知らないが、私が主計であった常磐30867部隊の兵食は残念ながら十分ではなかった。

水戸の留守隊で編成招集したときは、部隊副官、中隊長、本部付将校、軍医と私、隊長の相良大尉はまだ陸軍大学在学中ということで後で赴任、兵士は十九歳の初年兵と若い下士官達、約千名の独立大隊で、兵科は歩兵だが重速射砲五十七ミリ砲、指揮官車を持つ部隊だった。

相良大尉と私だけが九州、副官は大阪、ほかの将校の出身は本部のものだけ名簿がのこつている。兵士は宇都宮周辺の者だつた。

隊長曰く 若い新兵の多くは訓練に耐えない弱兵が多く之ではいけない。

とにかく  「何より飯を食わしてやってくれ」  とのこと。私も満州の初年兵のころは要領の悪いいつも腹を減らした兵隊だった。環境の激変で訓練のきついのより腹のへりすぎるのがきつい。

この学校長さんは高等官二等、この方に私一人で校舎を借りにいった。この間まで学生だったくせに、刀を下げると人間が変わる。今思うと先生はこの生意気な若者がおかしかったろう。でもこっちは一生懸命だった。                                              米は師団がくれる。だが副食、什器はこちらで準備しなければならない。

当時野菜など、普通民間は配給である。私は配給所に行って闇値で買った。軍隊が闇値などどうかと思うだろうが、内の部隊兵隊にはともかく食べさせなくては訓練もできないんだから会計検査院さえ通ればなんということはない。領収書に倍の数量を書かせる。臨時軍事費は十万もらってる。全部つかっていいんだから。

  箸は孟宗竹を割って作り,食函などないから板の上にご飯をそのままのせた。益子焼を知ってる本部の曹長さんが幾組かの茶碗皿を買ってきてくれて、之が幹部用。

全く何もない新所帯の主計はくろうする。               

  米軍機の空襲があると、学校の高台から眼鏡でみてて、農家の納屋がやられ牛が死んだ、それ買いに行けと指揮官車出動、牛を丸ごとかってくる。学校が農学校だから畜産処理室がある。軍隊というところには解体処理でも何でもできる兵隊さんが結構いるもので、部隊炊事が牛料理室になる。将校以下新兵さんに至るまでなかなか評判がよい。師団経理部の下士官も呼んでたべさせた。私の臨時軍事決算書はフリーパスである。

  作戦要務令に曰く 「軍の主とするところは戦闘なり。百事皆戦闘を以て基準とすべし」と、腹の減った軍隊は勝てるどころか戦闘そのものができない。

    援將ルート遮断のビルマ作戦に、あの精強龍部隊、我が郷里の精鋭が異境に屍をさらしたのは、兵要地誌を軽視し、密林障隷の地に僅かの携帯口糧で攻撃精神のみで進撃させたことにある。牟田口兵団長の拙劣な指揮のみならず、大本営のこの作戦への取り組みにある。もし十分な食料と装備が与えられていたら、累々たる白骨はなかったに違いない。

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これを含め、四つしか残っていないが、残りは、明日以降に掲載します。

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