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2009年8月

2009年8月31日 (月)

大量破壊兵器・・が、あるんだよね?

建築施工図の世界では、『資本金1円』で会社を作ってしまった者が多数いる。

他の業種でも、『1円』の会社が、たくさん設立されたと思う。知り合いで『HP作成会社』を作った者も居た。現在は、どうしているだろう?

”会社設立おめでとう!!”、、で、缶コーヒーで乾杯しただけで、、債務超過になる・・会社なんだけど?

私が会社を設立したのは、昭和63年3月25日。以前も、このブログに書いたと思うが、資金繰りを検討してみたら、その年の12月には”債務超過”になってしまうシミュレーションとなってしまった。

まだ、資本金を食い潰した訳ではない頃に、『利益は出せるのだけど、現金が無い』と言う状況が想定された訳だ。いわゆる”黒字倒産”だ。決算書上は、まだマシ・・と言える。現実は、昨年亡くなった父から援助してもらった・・。もう、21年の前、、と言う事になる。

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さて、昨日の衆議院議員選挙は、民主党の圧勝に終わった。

どうやるのか分からないが、”錬金術”があるらしい。『無駄を無くせば、やれるはず・・』と、なるそうだ。

非公開の国家予算ではないはずだ。どこの、、どこ?に、お金が眠っているのだろう?場所と金額を具体的に教えて欲しいものだが、、?

”大量破壊兵器”は、、、無かった。

まぁ、、それだけは、勘弁してもらいたい。

きっとそれは、”悪の巣窟”みたいな物なんだろう。

”掃除をしたら、綺麗になったけれど、何も無くなった。”と、言うのなら、それはそれで結構だが、、『”やっぱり必要だった”、、なんて事は、絶対にない』と言う事なんだろう。

とにかく、資金繰りも示さず、、、いや、、入金予定が無いのに、借入=増税 は、絶対にしないと言うのだから、どうやって乗り切るのか分からないが、後は信じるしかない。

国民として、保証人として、投票してしまったのだから・・と言うレベルの覚悟は無いが、とにかく、我々が選んだ事も確かなのだ。

しかしなぁ、、大量破壊兵器を見つける事も大事かもしれないが、普通に働いて、それなりの給金がもらえるような、そんな”仕事”って無いものだろうか?

確か、”最低賃金を1000円/時にする”なぁんて話もあったが、その仕事量や責任の度合を示して欲しいものだが、、どうだろう?

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選挙速報を見ていたら、当然のように眠れなくなって、1時半には床に就いたが、変な夢ばかりを観た気がする。

私の田舎に、内科の個人病院がある。そこの先代の先生は、私の父とウマが合い、囲碁をやっていた。

夢は、何故か、その先生のご自宅を訪れ、食事をご馳走になる夢なのだ。

ハッ!と気づくと朝だった。眠った気がしない。

何で、そんな意味不明の夢を観たのだろう?

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2009年8月29日 (土)

二つに分かれると滅びる

金曜日、打合せのため渋谷に行った。

大泉学園駅のホームに着くと、たまたま”渋谷行き”が来たので、各駅停車だったが、それで行くことにした。普段ならば、直通ではないが、西武線で池袋へ行き、山手線で渋谷まで行く。現在は、副都心線が出来たので、渋谷へ直通で行けるが、少々遠回りで、各駅停車となれば、従来の方法で行くほうが早い。

乗ってしまうと、当然だが乗り換えは無い。結構な時間、乗ることになる。

幸い、私は座ることが出来た。 しばらくして、池袋を過ぎた頃、、、二人ほど置いた斜め前に、若い女性が乗り込んで来て立っていた。化粧や顔立ちで”若い”とおもったのだが、”フワッ”とした服を着ていて、ヒールはペッタンこ、、、。

”ひょっとして?妊婦さん?”と、思ったが、声を掛けられない。何となく、おなかを守るような仕草をするのだ。

数駅もしないで、彼女も座ることが出来たので、こちらは一安心。

終点渋谷に着くと、”やはり妊婦さんかな?”と思えたが、彼女は、結構ダッシュで降りていってしまったので、、”考えすぎたったかなぁ?”と、心の中でつぶやき、電車を降りた。

そもそも、渋谷へは行くことがない。久しぶりに行くと、”必ず何かが変わっているはずだ”と思いながら歩くことになる。

ええっと、、14番だったか15番だったかの出口が、目的地へ行くには近いことが分かり、出口に向かうと、、妙なところで人だかり。階段の方へは、誰も向かわない。

見るとエレベータが3機もある。『それにしても、階段を利用した方が早いだろうに、、』などと考え、階段へ向かい、、登ろうとしたとき、視線に入ったものがある。

『この階段は、およそ100段あります』

今更、エレベータ方向へは行けない。登ることにした。

きっちりと”100段あります”と書いていなかった事も、気になったからかもしれない。

いやぁ、、”若ぶって”頑張ってしまった。

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さてさて、明日は衆議院の投票日だ。実は、”出かけるかもしれない”と言うことで、本日、不在者投票をしてきた。ついでに、”映画を観るため”もあったのだが、、。

映画の始まりには、多少時間があったので、普段は”ビール”を呑みに行くカルドで、オレンジジュースを飲んで行く事にした。

カルドの近くに、今回選挙の候補者(自民党)の選挙事務所がある。帰り道は、大泉高校の前を通って帰るのだが、そちらには対立候補(民主党)の選挙事務所がある。

おおっと、、、寝てしまった、、。続きを書こう。

観た映画は、”ナイトミュージアム2”

いやぁ、、面白かった。ちなみに、観客は8名。

夜になると、展示されている人物が動き出すのだ。

その中に、リンカーン大統領が出てくる。

2つに分かれた国は滅びる・・・と言うようなことを言うのだ。

意味合いは違うかもしれないが、二大政党というのは、どうだろ?

”選びようが無い”と思うんだけど?いかがだろう?

皆さん!選挙に行きましょう!!

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2009年8月28日 (金)

どうなる?建築業界・・

気が付くと、月曜日以来の書き込みになっていた。

鼻タケの手術から10日も過ぎているのに、鼻をかんだら、小さな血の塊が出てきて『えぇ、、っ?まだ、出て来るんだぁ、、?』と、驚く次第だ。

鼻の中が”スースー”する?と言う事はない。特に以前とは変わらない。眠る時、場合によっては、手術した右側の鼻が詰まっている事があるくらいなのだ。

さて、本日は、従兄の息子の店がオープンしたはずだ。25歳にして、店長、、と言うか、実質”社長”と言う事になる。”順風満帆”と行く事を願うだけだ。

では、我社はどうか?と言うと、、。

まず、I君が、9月1日より新規現場へ常駐する。それからYは、10月1日より、これまた新規現場への常駐が決まった。

うーーん、、、このYの常駐決定は大きい。彼の年齢からして、次は厳しいか?と思っていたからだ。やはり実力と実績だな、、。

後は、M君だな。Hさんも10月一杯だが、、うーーん?おそらく、年内一杯くらいまでは延びるかなぁ、、。Kさんも同様だろう。

しかし、、厳しい情勢だ。このブログへのアクセスに、”施工図””求人”などの言葉で検索して飛んで来るのだが、、現状では、新規の参入者は、ほぼ100%無理。

過去に、付き合いのあった者からも電話が来るが、残念ながら、、仕事は無い。

来年の新卒を募集したいところだが、まるで先が見えない。しかし、今までもらえていた得意先からは、継続的に仕事を頂けている。本当に有り難い。

契約残は、十二分にある事になった。だが、一向に減らない借入金の事を考えると、”眠れない”などは通り越してしまう。むしろ増えてきて、過去最高の借入状態なのだ。

明後日の選挙は、どんな結果をもたらすか?予想では、建設業界は立ち直れなくなりそうだ。

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2009年8月24日 (月)

また始まったな、一度に色々な事やろうとするんだよ、、。

金曜日に、右の鼻タケの手術で入れたガーゼを取り除いたので、スッキリ。溜まっていた課題を済ませることにした。

土日連続で、午前中から昼の2時くらいまで、自宅周辺の草取りと芝刈り。汗びっしょりになった。九州の実家の大掃除並みだったかなぁ、、。一昨年使用した”よしず”も、手頃な大きさに切り揃えてゴミ袋へ。5袋にもなった。明日火曜日は燃えるゴミの日なので、できれば全てを捨てたい。

土曜の夕方は、5時に散髪へ行って、6時20分からは、久々の映画だった。『トランスフォーマー3』を観て来た。

うーーん、、、しかし、何故かなぁ、、女性の”我がまま”は、通ってしまう。また、それを男は許すんだよなぁ、、、バカだねぇ、、男って、、。

しかし、、だ。日曜から月曜が眠れないのだ。おそらく、合計2時間ちょい位しか寝てない。何で眠れないんだ?やはり適量のアルコールは必要なのか?

この状態で、、今日は歯医者さんに行って来た。いつもなら、ちょっと離れた歯医者さんに行くのだが、何だかんだ近くて遅くまでやっている歯医者さんに、行く事にしたのだ。

初めてのつもりだった・・げげっ!何と、平成7年のレントゲンを見せられた!!管理が凄い!コメントに、、『親知らずを抜く事』とあったそうだ、、。

あの時、抜いていれば良かったんだけど、、ブリッジを掛けようにも、支持する歯が、親知らずのために虫歯になり、歯の根元が溶けているから、、どうでしょうねぇ、、。

うーーーん、、、今からお願いします、、。痛いだろうなぁ、、。

まだ、左側の副鼻空炎(鼻タケ)の手術が残っている。

こわい!こわい!!!!こわいよぉ!!

何を、、やってるんだ、、俺は、、。

しかしなぁ、、最悪だ。目は飛蚊症+少し白内障っぽく+近眼+老眼+乱視だし、、鼻は鼻タケ満開だったし、、歯はボロボロ。おまけに高血圧の薬は飲んでいるし、、、10年前には大腸癌(ポリープが癌)だったし、右膝はポキンポキン言って電気が走ったようになるし、、。

そうそう、、借金も凄い!

唯一の財産は、社員と家族かなぁ、、。

でも、、あまり、私に付いて来る感じはしないけど、、。

そうそう、、そろそろ終了する現場の者が、次の現場の候補に挙がっているそうだ。彼は優秀だから話も来る。今年の新人たちも、あと少し、、そうだなぁ、、10月を過ぎれば、現場に常駐しても、何とかやれる位にはなるだろう。もう少し頑張ってもらおう。

しかし、変だよなぁ、、眠いけれど、、無茶苦茶眠い・・ことはないのだ。俺の体、まともな反応してないのかなぁ、、。

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2009年8月23日 (日)

鼻タケその後と、父の自分史、、パート3

金曜日、鼻タケ手術のガーゼを取ってもらった。

5~6cmほどの長さをクルクルと巻いたものが、4本入っていた。これが、喉の奥に当たっていたのだが、だんだんと慣れてきていたところだった。しかし、木曜の夜中頃からは、喉の奥に落ちて行きそうな感じになって、、『気管に入ったら、どうしよう!』などと考えると、またまた眠れなくなって・・。

いやぁ、、取ってもらったら、、スッキリ!

次の、左の鼻タケも取ってもらおうと思い、『来週の月、火でお願いしたいのですが』と言ったところ、看護婦さんから『様子を見て、9月位にした方が、、』とアドバイスを受けて、9月8日の予約を取った。

そして、、、金曜日の夜、、なんと、我社は、”暑気払い”

4日に母が亡くなり、5日通夜、6日告別式、7日より実家の大掃除、以後12日まで。13、14、15は、昨年7月29日に亡くなった父の初盆。16日東京へ、17日仕事、18日鼻タケ手術、以後ガーゼが鼻の中にビッシリ・・。

実は、8日に従兄弟と飲んで以来、16日に缶ビール1缶のみで、その後は鼻タケで飲んでいなかった。

いやぁ、、ビールの味が、まるで違った。暑気払いは新橋でやったので、地元に戻り、焼酎のお湯割りを飲んだが、、、これまた味が違う、、。

で、この土日、飲む気にならないでいる。”酒”について、味が変わった?のかなぁ、、、。

さて、父の自分史の続きだ。実は、一番長いのが残っているが、地名人名を考えると、”私”の事ではないので、控える事にしようかと思う。従って、父の自分史は、これを最後にしておくつもりだ。

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信   州

                           原 久夫 述

 女子学生の修学旅行に信州馬込、小諸が選ばれることが多いそうだ。籐村の「夜明け前」や「小諸の詩」か゛女の子の夢をさそうのだろう。

入隊前数ヶ月、中島飛行機の同僚A君と浅間に行った。

A君は横浜専門卒今の横浜国大で、学徒動員で、入隊すべき事情も私同様。とにかく行つてこよう、というところ、目的も何もありはしない。 

東武線で川上峡をすぎて、何というところだった忘れたが、宿をとって翌日、歩き始めた。広い原っぱだ。地図なんか持たないし、あきれるほど広い。浅間山の山頂付近は火山灰原で歩きにくい。夜中に山を下りて農家にとめことてもらった。こことで食べたのがイナゴ。イナゴは焼いてあつた。それ以来八十過ぎる今日まで食べたことがない。

海のない国信州、昔、信玄も;これをたべたのかな。

翌日懐古園に、だが、ここのその頃のことは殆ど覚えていない。

佐久の草笛は聞こえなかつたが眼下に千曲川があつた。

この山の中に会社の社員記章を落としてしまって再交付を受けるとき怒られた。それも道理、当時中島では「隼」「鍾馗」がマスプロに入っていて、「キ84」正式名「疾風」の試作中で、試作工場にはこの試作記章がないと工場の者でもは入れない。まあ当時私は営業課試作係で、試作中の疾風三号機の金井技師補の制作進捗をみる僅かの人間の内だったから特にだ。まあ、すぐ入隊する人間だからだろう、処分は受けなかったが。大失敗。

 

 二度目の信州は、日本の一番長い日、そう、あの負けた日から一ヶ月以上かかって部隊の後始末をして、やつと終わった後だ。

とにかく部隊経理の責任者だから何もかも処分して、何もないようにしないと復員できない。毛布から何から、兵隊のもてるものは兵隊に何でももたせて帰した。帰るときは部隊の自動車、指揮官車もつかった。やっと経理室の任務が終わったら、木炭なんか付近の民家にやって処分した。このと部隊の武器は勿論私の軍装品まで米軍に引きわたした。繰典類から書類全部焼いた。

終わって、経理下士官のC氏が私の郷里信州を回って帰りませんかという。航空燃料のエチルアルコールを土産に彼の田舎におじゃました。90%以上のものだからまあ当時としてはよい土産だらう。

連れて行ってもらったのが川中島、歓待された。立派な大きな農家で会津塗の応接台いっぱいのご馳走、もう彼の上官ではないのに。

 川中島合戦の古戦場八幡原に行く。いまはもっと立派になっているだらうが、石墨のなかに碑があったように思う。甲越二英雄の戦いの跡と日本アルプス嶺嶺の姿は今も忘れない。  土地の人は八幡原「ハチマンパーラ」と呼んでいたのではなったかな。

三度目青春の思い出信州を妻と訪ねた。千曲川に電力発電所建設とかで、藤村の「緑なすはこべ」は見えず、懐古園も人ばかり、せっかく妻に見せでたかった信州の情緒はさっぱり。だけど浅間には上まで登った。まあ浅間神車社参拝でまあまあか。火山灰の丘で写真をとった。何処かにネガぐらいあるかもしれない。絵画の展示室でみた浅間の画はテレビなんかで時々紹介されることがる。 

  もう八十四歳おまけに癌、妻も八十一歳入院中、信州四度目はなかろう。

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ここにある”三度目の青春の思い出信州”は、私が連れて行ったものだ。父は、裁判所で調停委員をしていた。それを辞めた後、最高裁判所で表彰して頂いた。その際に、母と上京して来たのだ。

日帰りで、山梨長野を周ったときの事を言っている。

このとき、父が、私と母のツーショットを撮ってくれた。その時の母の写真が大きくアップされ、今回の遺影になっている。

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2009年8月20日 (木)

鼻タケその後と、父の自分史、、パート2

鼻タケの手術は、おそらく問題無いのだろう、、。しかし、だ。

どうも?歯の方がおかしい。歯性上顎洞炎ではないだろうか?耳鼻科でも、歯科でも、何も言われていないが、おそらく、これだな。頬の腫れは無くなっているから、違うかもしれないが、まぁ、、似たようなもんだろう。

明日、耳鼻科でガーゼーを取ってもらえば、とりあえず右側は終了だろう。数日於けば、歯医者が右頬を触っても大丈夫だろうから、それから歯の治療かなぁ、、。歯茎の腫れが増して来た。

いやいや、直ぐにでも行かないとまずいぞ、、。モヤモヤして、仕事の段取りなど考えられないのだ。さてさて、どうする?まず、抜歯は免れない可能性がある。いやだなぁ、、。

さて、盆明けからの電話は、『施工図の募集は、してますか・・?』とか、『どう、、仕事は?』とかが連続している。

春先は、『9月になれば、、』などと思っていたが、この状況では、11月さえも危ないかも、、?

選挙の結果では、どちらに振れるのか?

マニフェストなど、シッカリと確認してはいないが、民主党だと公共事業が減り、派遣関係は厳しくなりそうだ。しかし、現在の自民党でも公共事業は少ないし、派遣であれ何であれ、そもそもの仕事が無いと来たもんだ。じゃぁ、、どうなるんだ?

さてさて、昨日に続き、姉のパソコンにあった、父の自分史の書き掛けだ。満州では、二等兵だったようだ。

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                        満 州 の 春

   私しゃ十八 満州娘   花の三月 雪解けに  迎春花が 咲いたなら。

   お嫁にゆきます   隣村    王さん    待つてて  頂戴ね 

極寒零下三十度、寒風の中に、防寒手套から手を出すと、指の先が白くなる。風速十メートルに一度、更に下がる。この時は、ひたすら指をこする。でないと、凍傷になって指が落ちると教えられた。凍った河は 人、馬、砲、戦車でさえも渡れる。風呂帰りのタオルは兵舎に入る前に棒の様にピンと立つ。その冬がやっと終わって春が来る。

 迎春花 インチュウホワ  可憐な花が咲いて 満州は春になる。冬は終わった。

馬房の床詰めを、はずさなくてはならない。冬用の軍服、防寒具一切を被服係上等兵殿に返納だ。やや薄くなった河の氷を割って綱をつけたバケツで水をくみあけ゛ブラシでよくこすって汚れを落とす。初年兵の日曜日は忙しい。外出など古兵になってからだ。

 だが、春なのだ。 満州娘でなくも、すこし笑みがこぼれる。

          ああ 春だ 満州に春が来た。 

北    京

            北京の街は 王府鎮 (ワンフーチン)

この歌、前も後ろも忘れた。

あの寒かった満州から北支那の北京に来ると、普通外套で結構だ。あまり寒くない。人の身体は住む土地に適応するようになるみたいだ。

北京陸軍経理学校は西郊にある。満州東寧からこの大都会にきてびっくりした。街の周囲を堅固な城壁に囲まれ、城壁の上は車二台が並んで通れそうた゛。さすが中国何千年の都だ。前門(チェンメン)、故宮今人民広場、なんとなんと、桁違いの規模、すばらしい。

朝ラクダをひいた、きたない男が城壁の門からはいってくる。生まれてから風呂にはいったことがないような汚れ方、ラクダもはじめてみた。これもボロをさげているみたいだ。

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他に残っている文章からすると、3、4年前かな?

私に、『おい、ブログはどうやって書けばいい?』と言ってたので、3年前くらいだろう。

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2009年8月19日 (水)

鼻タケその後と、父の自分史、、途中まで

昨日の鼻タケの手術は、上手く行った、、、ようだ。

実は、すぐにガーゼで塞がれたため、空気の通りがどんなものか、確認する間もなかった。

右側だけの手術だ。当然だが、両方やると、口で息するしかない。しかし、片方だけだが、息苦しくて眠れなかった。明後日の金曜日は、事務所に行く前に病院へ行って、鼻を開通してもらう予定だ。これじゃぁ、、眠れない。おまけに、歯の方がよろしくない。歯茎がまた腫れて来た。早く、歯医者の方へも行かないといけない。

しかし、手術と言っても、結構簡単なもので済んだ。麻酔の時間がやたらと長かったのと、術後の点滴(何かなぁ、、あれはぁ、、)が、長かった。

点滴の間、一緒に並んで点滴をした、お婆ちゃんが居た。生年月日が聞こえて来た。『明治44年7月7日・・』 いったい幾つのお婆ちゃんなんだ?おそらく98歳かな?凄い!!

さて、姉のパソコンに、父が描き掛けた自分史があった。あちこち書き散らかしたままで、数ページしか残っていないが、掲載してみようと思う。どうも、読み直しをしていないようで、あちこちにおかしな文章があるが、そのまま掲載するが、上手く読んでみて欲しい。

=========原 久夫 少尉 だったと思う========

            常葉三0八七一部隊

   第一章  兵  食        兵 要 地 誌

   今の自衛隊の食事はどんなものか知らないが、私が主計であった常磐30867部隊の兵食は残念ながら十分ではなかった。

水戸の留守隊で編成招集したときは、部隊副官、中隊長、本部付将校、軍医と私、隊長の相良大尉はまだ陸軍大学在学中ということで後で赴任、兵士は十九歳の初年兵と若い下士官達、約千名の独立大隊で、兵科は歩兵だが重速射砲五十七ミリ砲、指揮官車を持つ部隊だった。

相良大尉と私だけが九州、副官は大阪、ほかの将校の出身は本部のものだけ名簿がのこつている。兵士は宇都宮周辺の者だつた。

隊長曰く 若い新兵の多くは訓練に耐えない弱兵が多く之ではいけない。

とにかく  「何より飯を食わしてやってくれ」  とのこと。私も満州の初年兵のころは要領の悪いいつも腹を減らした兵隊だった。環境の激変で訓練のきついのより腹のへりすぎるのがきつい。

この学校長さんは高等官二等、この方に私一人で校舎を借りにいった。この間まで学生だったくせに、刀を下げると人間が変わる。今思うと先生はこの生意気な若者がおかしかったろう。でもこっちは一生懸命だった。                                              米は師団がくれる。だが副食、什器はこちらで準備しなければならない。

当時野菜など、普通民間は配給である。私は配給所に行って闇値で買った。軍隊が闇値などどうかと思うだろうが、内の部隊兵隊にはともかく食べさせなくては訓練もできないんだから会計検査院さえ通ればなんということはない。領収書に倍の数量を書かせる。臨時軍事費は十万もらってる。全部つかっていいんだから。

  箸は孟宗竹を割って作り,食函などないから板の上にご飯をそのままのせた。益子焼を知ってる本部の曹長さんが幾組かの茶碗皿を買ってきてくれて、之が幹部用。

全く何もない新所帯の主計はくろうする。               

  米軍機の空襲があると、学校の高台から眼鏡でみてて、農家の納屋がやられ牛が死んだ、それ買いに行けと指揮官車出動、牛を丸ごとかってくる。学校が農学校だから畜産処理室がある。軍隊というところには解体処理でも何でもできる兵隊さんが結構いるもので、部隊炊事が牛料理室になる。将校以下新兵さんに至るまでなかなか評判がよい。師団経理部の下士官も呼んでたべさせた。私の臨時軍事決算書はフリーパスである。

  作戦要務令に曰く 「軍の主とするところは戦闘なり。百事皆戦闘を以て基準とすべし」と、腹の減った軍隊は勝てるどころか戦闘そのものができない。

    援將ルート遮断のビルマ作戦に、あの精強龍部隊、我が郷里の精鋭が異境に屍をさらしたのは、兵要地誌を軽視し、密林障隷の地に僅かの携帯口糧で攻撃精神のみで進撃させたことにある。牟田口兵団長の拙劣な指揮のみならず、大本営のこの作戦への取り組みにある。もし十分な食料と装備が与えられていたら、累々たる白骨はなかったに違いない。

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これを含め、四つしか残っていないが、残りは、明日以降に掲載します。

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2009年8月18日 (火)

鼻タケ手術、、。

実は、御盆前に歯茎が腫れ、歯医者に行って膿みを出してもらった。

歯の神経を取ってしまっているのだが、根っこが膿んでしまったのだ。もう、、何回かやっている歯だった。

さらに、副鼻腔炎が連鎖反応のでもしているのか?腫れてしまい。右頬はプックリとしていた。

私の友人で、歯医者は何人もいる。幼稚園から一緒のYに頼むことにした。共通の友人Kから、私の母の訃報を聞いていたYが、御盆に参りに来る事が分かっていたので、予約無でも問題ないであろうと想像して行って来たのだ。

うーーーん、、、東京に戻って、掛かり付けの歯医者と相談して、”抜歯”を選択肢に入れて相談しなければならないほど、悪いみたい。とほほほ・・。

昨日は、まず耳鼻咽喉科に行って、副鼻腔炎の相談をして、それから歯医者に梯子するつもりだった、、が、耳鼻科が混んでいた。御盆明けだからだ。

しかし、そこで、、、いつも聞かされるのだが、、『”鼻たけ”取りますか?』と言うやつだった。

で、この際だから、、『取ります・・。』と言ったところ、、『今日は(患者さんが)多いから、明日にしましょう』と言う事になり、実は、、、後少々、3時になったら、麻酔開始なのだ!!

そう、、、今日、鼻タケを取るのだ。

まず、右側だけの予定だ。日帰りなので、、どうなんだろう?根っこから取るような手術ではなく、”取りあえず取る”ような手術(また、鼻タケが再生してしまうようなレベル)であろうと思う。

まてよ?日帰り、、と思っているのは、私だけで、先生は、そう思ってないかも?

とにかく、”血が止まりにくい”らしく、1週間くらいの入院が普通らしいからなぁ、、。

ただ、手術後は、メチャクチャ期待している。今までの、ボーーーーっとした頭が、ハッキリして来るだろうと思うからだ。

でもなぁ、、今回は右側だけだしなぁ、、。おそらく、1,2週間後には、左側もやると思う。

と言う事で、またまたしばらく、ブログをお休みするかもしれません。ではでは・・。

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2009年8月16日 (日)

東京に戻って来た。

現在、品川。東京に戻って来た。大泉学園へ着くのは、、11時半過ぎかなぁ、、。

実家から最寄り駅である金田まで、、2分くらいだ。残念ながら、記憶に残る家は、2、3軒しかない。後は、建て直されている。

ところが、、だ。羽田から自宅のある大泉学園に向かう1時間半の道のり方が、何故か安心しているのだ。

本来、私みたいな人間は、田舎に引っ込めば良いと思うのだが、帰るべき場所が、東京になっているようだ。

これは、悲しむべきか、、?

私を叱ってくれる人達が、次々と亡くなってしまった。

さて、明日から仕事だ。

父や母が、東京に向かう息子に、毎回言ってくれたのは、『頑張れ!』だった。
『頑張ります!』と答えてみせないといけないが、本当に頑張れるのか、疑問だらけだ。

次は、江古田か、、大泉学園は、もう少しだな、、。

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2009年8月15日 (土)

お盆も、、終わりだ

初盆は、思っているより大変だった。

多くの方が、お参りに来る。洗い清めなければならない、、が、あまりにも汚く、並みの大掃除では済まなかった。今日現在も、クタクタである。

商売をしながらの初盆なので、店に立つ者と掃除をする者に、別れなければならない。少ない人数が、更に少なくなる。

ご焼香に来られた人達の中で、商売人の家である事を承知で来られる分は、まぁ、、問題は、ない事もないが、、一般家庭の方々は、あまりにも雑然とした家の中を見て驚いてしまう。それを、何とか少ない驚きにしてもらうよう、掃除をしたが、、広い、、。おまけに、長い月日で溜った汚れは落ちない。

店舗正面のウィンドウの足元は、日頃の掃除で?土間のコンクリートに散水したハネ上がり、白く濁っていた。おそらく、コンクリート内のセメントが溶け出し付着していたのだ。

軒先に樋を付けていないと、雨水のハネが上がり、建物本体の裾を汚してしまう。それの酷い状態を造り出してしまっていたのだ。下手な掃除は、かえって汚してしまうと言う典型的な例なのだろう。

コルビジェの設計したロンシャンの教会は、軒先の樋や真っ直ぐに降りる縦樋も無い。雨樋が、突き出しているだけだ。と、学生時代に習った。今やネット社会だ。観る事は出来る。行ってみたい所の一つであるが、、日本みたいに雨は降らないのかなぁ、、?

裏に通じる、隣家との間は、ビールケースや酒のケース(P箱と呼んでいる)を置いているスペースだが、長年の雨と埃で、側溝に泥が溜まり、これまたドブ状態。

結局、階段・店舗正面ウィンドウ・隣家とのスペース、を掃除するだけで、3日掛かった。その他を合わせると、、?何日掛かったのかなぁ、、???

正直、裏庭の掃除には手が回らなかった。と言うか、バテてしまった。

病院に入院しているが、寝たきりの母や、週に何度も肝臓治療のために病院通いをする父がいれば、、、掃除どころではなかっただろう。店には、本当に少ないが、買い物客も来るのだ。何かと言えば、店を閉めて行動するしかないのだ。兄と兄嫁は、本当に疲れただろう。

しかしなぁ、、、汚かったよ、、。

その、父と母が、ほぼ一年の間に、続けて亡くなってしまったのだ。このお盆が過ぎると、ポッカリと空いた穴に気付くだろう。

昨日の夜は、盆踊りだった。

狭い地域なのに、近所の初盆の家が6軒もあり、合同で盆踊りをやってもらった。

しかし、知っている人は、パラパラなのだ。

『あぁ、、自分は、もう、、この土地の人ではないなぁ、、。』と思わされてしまった。

更に残念なのが、御位牌の写真を見ると、その6人は、私の事を、どこの誰なのか、、、良く知っている人達なのだ。

さて、今日は15日だ。ご先祖様を、お見送りしなければならない。

明日の16日は、東京に戻る予定だ。今日は、流石にお参りに来る方は居ないようだ。

方城にある温泉に、一人で行って来るかなぁ、、。

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2009年8月 9日 (日)

初盆準備

今日も掃除。

父の初盆の準備をスタートさせようとした頃に、母が追いかけるようにして亡くなってしまった事もあり、収拾がつかない状況が生まれてしまった。

と言えば、聞こえは良いが、まぁ、、、元々、準備が遅れていたようだ。”寝たきりだった母は、準備を急かせるかのように亡くなったのではないか?”とさえ思える。

とにかく、”汗だく”を通り越していた。

1階が店舗なので、直接2階に上がる外部階段がある。その鉄骨階段の塗装のペンキは”ボロボロ”で、吹き上げられて溜った土と一緒になり、階段の蹴込みの隅に張り付いていた。そこを水道水の水圧で、はぎ落すのだ。

しかし、建物の外にある蛇口の位置をしらないので、バケツで水を汲んで来て、ほうきの先で削ってみたが、、遅々として進まず。

結局は、蛇口の位置を教えてもらって、水圧で、はぎ取ってしまう事が出来た。

次は、階段の上り口の横にある”穴”だ。どうやら、看板を建てるために、空いていたのだが、予算不足で建てていなかったらしい。

不自然な形となっていて、適当には埋められない。そこには泥が溜まり、空き缶を捨て、ゴミを捨て、、、トンでもない事になっていた。

提灯を飾らないといけないので、どうしても、その穴の”ドブさらい”をしないといけなかったのだ。

その間、まだ、お盆になっていないけれど、お参りに来られた方が3組もあったのだ。

まぁ、、汗だくの凄い姿で、、、『お参りに来られたよ!!』と連絡するのだけれど、グチャグチャだったなぁ、、。

まぁ、、、本番のシミュレーションにはなったな、、。

さて、明日は、こちらが訪問する番だ。もう、寝よう、、。

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2009年8月 5日 (水)

ありがとうございます

いやぁ、、まいった、、。母が亡くなった。明日、、と言うか、もう今日だけれど、九州に帰る。

しかし、一体全体、どうなっているんだ?父の一周忌が終わったばかりなのに、今度は母だ。その一周忌の間に、叔父さんに伯父さんと亡くなっているのだ。

ほぼ一年の間に、大事な両親を含め4人が亡くなったのだ。その内3人は、この2ヶ月間で次々と亡くなったのだ。

しかしなぁ、、伯父が亡くなって、まだ一月も過ぎていない。何でだ?

伯父が亡くなったので、ついでに母の病院に見舞いに行ったのだが、まさかそれが最後とは思わなかった。

あの時、簡易の酸素マスクをつけていた。しかし、痰が絡んでいたみたいで、少々苦しそうだった。看護婦さんを呼んで、痰を取ってもらった。

あの日、母は私を認識できていたであろうか、、だが、母は痰を取ってもらったとき、一言こう言った。

『ありがとうございます。』

私が聞いた母の最後の言葉だ。

母さん、ありがとうございました。

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2009年8月 4日 (火)

手戻りだらけ

うーーん、、、作業を止められない。

手戻りになるから、描き進めさせたくないのだが、止められない。描き手である彼らは、作図枚数を上げる事が仕事だ。どうしたものか、、。

チェックバックが来ない。質疑の回答が来ない。設計者が決めきれないから返事が来ないのならば良いが、、どうだろう?

明日、別物件の打合せがある。ついでに、そちらの打合せもやらないと、あれもこれも止まってしまう。

実は、大物は既に止まっている。先日の打合せで止まったのだ。

もう、お盆休みになってしまう。今月の売り上げは、そもそも期待できない。しかし、それよりも問題は、9月になると一斉に答えが出てきて、”図面はまだか!”の合唱になる事は間違いない事だ。

今の内に英気を養いたいが、今日から”夏らしく”なってしまった。暑い!!

請求書の間違いがあって、今日は出かけたのだ。ああっ!そうだ!金曜日も請求書の間違いを訂正して持って行ったぞ!

あれぇ?金曜日・・だったよなぁ、、?

だめだ、、。ボケてる。

そうだぁ、、もらったカボスを届けてくるか、、ついでに一杯! うーーん、またボケそう、、。

ああっ! 間違い!! ”すだち”だった! 徳島の方スミマセン!

そうそう、、A君!カボスもよろしく! こちらは大分だな、、。

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2009年8月 2日 (日)

眠くて、、眠くて、、。

Robot/Toolのアクセスがやたらとある。昨日今日のアクセスでは、7割がRobotだ。何を調べているのやら、、?

さて、今朝は疲れる夢で目覚めてしまった、、。

電車に乗るのだが、既に”遅刻”なのだ。乗ろうとする駅は、実家のある金田駅だけど、、、ちょっとシャレた電車であることからして、夢なのだと薄々感じるのだが、”遅刻”の気持ちが勝っていた。

そもそも、ディーゼル車しか走れない路線だ。電車として走るための架線が無い。しかし、複線なのだ。たしか信越本線の一部は単線だったと思う。廃線になろうかという路線が、”複線”なのだ。昔の栄華の象徴だ。

どうやら、高校2年から3年になる夢だったと思う。

遅刻かぁ、、遅刻だなぁ、、とやっているうちに、始業式をサボったようだ。

次の日は、前日よりは早いのだが、やはり遅刻なのだ。だが、どうやら学校に行った・・みたいだ。

広いグラウンドの向こうに、高い塀に囲まれた”学校”があり、まるで砦の入口みたいな校門?があるのだが、そこから、5、6列になって生徒が出て来るのだ。身長180cmは、、あったなぁ、、。坊主頭だったな、、。

何とかして、その彼らに話しかけている?ようで、、『俺のクラスはどこだぁ?』と聞いていた気がする。その辺で目が覚めた。

昨日が同窓会だったから、そんな夢を見たのか、、。

高校の同窓会は、8月の第1週の土曜日と決まっている。父の命日は7月29日だ。永遠に出席できないかもしれない。

うーーん、、血圧の薬を替えてもらってから、どうも?いつも眠い。まぁ、幸いにして、110代後半から120代前半~80代(めったに90代にならない)になってきた。

正常な人に近付いたら、”眠い”のだから、どうしようもない。最近、食事の後の睡魔には、本当に困っている。

さて、もう一度散歩に出かけるかな、、。

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