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2009年6月28日 (日)

歴史上の人物が、一族に居た!

親父の従弟である叔父が亡くなったので、昔の写真を整理し、HP風にして送った事を切っ掛けに、先祖の事を調べた、、いや?”確認していた”だなぁ、、、。結構知っているつもりだったから、、。

いや、実に驚いた。いつものように”江上 大蔵”とか”江上 家系図”などと、ネット検索していたら、何故か”会津”に、”土方歳三”まで出て来るのだ。

いやいや、うちは九州の久留米に本家があるんだよ、、何で会津が、、おまけに土方歳三まで、何のことだ?

秋月登之助・・?

本名は江上太郎 。伝習第一大隊隊長・・・・なんと、会津藩が江戸藩邸を引き払うときに脱藩して、江上から秋月に名を変えたのだそうで、宇都宮城を攻めるさい、土方歳三を参謀として戦った人らしい・・・

うーーん、何となく、戊辰戦争の、宇都宮攻めは、、そんな話を聞いたことがあるような、、。だからと言って、何で大蔵の一族の江上とか秋月が出て来るんだ・・?

江上は、現在の福岡県久留米市に、先ごろの市町村合併した城島町にある。昔々は江上村江上で、その隣は原中牟田だ。私の祖父は、江上本家の次男であったが、原中牟田の原本家に養子へ行ったのだ。だから、私は”原”である。

その江上の地に、藤原純友の乱を鎮めるため九州に下向した大蔵春実の子孫である四郎種光が分家して、江上城を築き”江上氏”となった、、というのは、うろ覚えではあるが、以前から調べていた。この大蔵春実は、”前漢初代皇帝「高祖(劉邦)」の流れを汲む後漢の霊帝を祖とする”と言うのだから驚きだろう、、。

しかし、佐賀の神崎にある勢福寺城に行ってしまった?と思っていたので、誰も江上の地に残っていなかったのかと思っていた。ところが違ったようだ。まぁ、、そりゃそうだろう、、そんなに遠くはないしなぁ、、。

何代にもわたる歴史の中では、元寇と戦ったり、応仁の乱を戦ったりしたようで、中々由緒ある家系なのだ。龍造寺や鍋島よりも、出自がはっきりしている家系であることに驚かされる。

まぁ、、途中は、あまりにも色々あるので割愛して、、最後は、龍造寺隆信が島原の”沖田畷の戦い”で島津有馬軍に敗れ、江上の武将は、ほとんど討死してしまうのだ。その後、豊臣秀吉が九州征伐をしたところで復活はするが、、龍造寺と一緒に没落していき、同じ家老の鍋島が肥前を納めることになってしまう。

龍造寺は、鍋島に譲った形になっていたが・・?

ところがだ!!、『鍋島藩は龍造寺のものだ!』と主張する龍造寺伯庵が現れ、大騒ぎとなるのだ。化け猫騒動の話が出て来るくらい、江戸時代に入っても佐賀藩は、もめていたようだ。

で、、事の決着は、、なんとなんと!”会津藩に、永の預かり”となり、その時に一部の江上も会津へ行き、会津藩士になっていたようなのだ。

やっと、、、繋がった。

幕末の頃、会津藩士として”江上”が居たのだ。何と!土方歳三を参謀として、一緒に戦っているのだ。

どうも、相手が何時も”島津”のようで、連続で負けている。まぁ、、その後の西南戦争では、逆となる訳だから、、。

と、まぁ、、そんな事を調べていた、、と言うか、ネットサーフィンをしていたら、ブログはお休みになった訳だ。

でもなぁ、、こんな話を家族にしても、、『うざい・・』で終わるなぁ、、きっと、、。

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コメント

そんなことしてる暇があったら仕事探したらと言われます。 ハイ(≧m≦)

投稿: bouchan | 2009年6月29日 (月) 11時13分

いやいや、大変興味深く拝見いたしました! うちの寺は開基が龍造寺の家臣だったそうですので・・・
佐賀にも「江上」の地名がありますが、無関係?

投稿: tera | 2009年6月29日 (月) 11時37分

>bouchan さん
昨日、ブログを書いて家に戻ると、、どういう訳か親子4人が家に揃いました。
で、、話しかけたのですが、『土方歳三知ってるかぁ?』レベルで止めときました。

投稿: 一級能書士 | 2009年6月29日 (月) 18時32分

> tera  さん
そう言えば、以前も、そのような話をされていましたね。地名の話もされていた気がします、、。
うーーーん、調べてみますが、、”ネット検索”が頼りなので、、。

投稿: 一級能書士 | 2009年6月29日 (月) 18時39分

 私もネット検索でこちらに辿り着きました。東京在住ですが、父は宮崎、祖父は熊本生まれの江上です。
 遠い縁続きかもしれませんね。

投稿: 深大寺 | 2010年3月17日 (水) 02時18分

>深大寺さん
いらっしゃいませ。
おそらく、遠い、遠ーい、、縁続きなのでしょうねぇ、、。江上は、少ないですからね。
気になる方が居るんですよ、、黒木瞳さん。あの方も”江上”なんだそうです。

投稿: 一級能書士 | 2010年3月17日 (水) 09時35分

親父は江上太郎、福岡県柳川市、大牟田のすぐ近くです。600年前くらいまでさかのぼれる家系図を持っていますが、種がついた名前が多いです。
祖父は江上壽吉、有明海干拓事業で勲何等かの受勲章をみたことあります。
いまは、遠く離れた気候がよく近代的なメキシコのケレタローって街に住み着いて20年以上で現在は隠居生活中。ここにたどり着くまで25年の海外生活で、日本にはすっかり遠のいていましたが、ここケレタローで、九州の佐賀市の大字江上に住む女の子の留学生をお世話し、江上城跡もありって知りました。

投稿: 江上 晴彦 | 2013年3月 1日 (金) 04時18分

>江上晴彦さん
凄いです!
600年の家系図があるとの事ですが、江上家に関係する人たちにとって、大変貴重な物となります。
詳しくは知りませんが、江上家菩提寺は、火事で焼けてしまい、家系図は残っていないと聞いています。
しかし、、メキシコですか・・・凄いなぁ、、
私の実家は、炭坑町の筑豊田川ですが、東京に住んで、40年になろうとしています。
祖父が酒処の城島から出て来て、福智町(旧金田町)で酒屋を始めた事が切っ掛けです。
上記文中に次男と有りますが、四男の間違いでした。
NPO法人シニアネット久留米の中に、城島町歴史探訪というサイトがあります。
http://www.snk.or.jp/cda/tanbou/jojima/ 面白いですよ

投稿: 一級能書士 | 2013年3月 1日 (金) 09時56分

はじめまして。会津藩家臣として江上家は代々、続きます。現在だと同じく一族の方々が集まってきています。私は一族でないのですが。

投稿: 伊藤哲也 | 2013年8月30日 (金) 00時06分

>伊藤哲也 さん
会津には、一度も行った事が無いんです。
というか、国内で、行った事が無いところが多過ぎて、、
仕事に余裕が持てるようになったら、日本各地を訪ねたいと思っています。

投稿: 一級能書士 | 2013年8月30日 (金) 09時27分

初めまして、今日は 大蔵朝臣の子孫が、沢山いて感動です。きっと、阿智王こと、身狭青が、見守ってくれてるんだと思いました。 大蔵朝臣の子孫

投稿: 原田 仁美 | 2014年10月 8日 (水) 22時22分

>原田さん
今日は、、
大蔵の一族のトップ原田氏ですね。
最近は、このブログもサボっております。
先祖系の話しは、更にサボっていまして・・・
一昨日、60歳の還暦を迎えたので、そろそろ復活しなければ・・とは思うのですが、、

投稿: 一級能書士 | 2014年10月 9日 (木) 11時08分

はじめまして。父方祖父は熊本出身で確か次男。忠士といいます。
江上性でしたが養子になり名前が変わったそうです。婿養子なのか?詳しく知りませんが、養子先はしょうやです。曽祖父まで武士だったと父は言うのですが、興味はあるのに照れくさくて詳しく聞いていません。親戚に黒木家もいます。江上家の家系図が江戸末期までしかみつかりませんねその先が知りたいですよね。

投稿: | 2015年6月19日 (金) 17時50分

>お名前が分かりません
すみません、こちらを見に来る機会が減っていまして、、お返事が遅れました。
江上本家のある久留米には、叔母の葬儀(h13.12.30-h14,01.03)以来、行っておりません。14年以上になる事に、驚いています。
江上の菩提寺は、火事で焼けてしまい過去帳も無いと聞いています。残念ですよね。

投稿: 一級能書士 | 2015年7月 6日 (月) 11時00分

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