« 幻の宣伝カー | トップページ | 休み明けの読みは? »

2008年8月12日 (火)

オリンピックを観て気合を入れているつもり・・なんだけどなぁ、、。

2週間が過ぎた。いくらか変わるか?と思ったが、そもそも親父が死んでしまったという実感がない。やはり、同じ屋根の下で生活していないからだろう。

逆に言うと、東京で会社を始め、ある程度社員が増え・・と言うか、98年の大きな落ち込みの後、『こんなにも貸してくれるのか?』という借金をしてからかと思うが、”親の死に立ち会う事は無いのだろう”と思っていた。

前年の97年に契約した建売住宅の自宅が完成し、入居したのは98年7月だった。あれから10年。残念ながら、父も母も、我が家を見る事はなかった。おっと、母親は寝たきりだけど、可能性は残されているのかも、、しれない。

父と母の部屋にあった写真で、整理されていない写真があった。おそらく、96年の秋だと思うが、父が裁判所の調停委員をしていたので、最高裁判所で”ご苦労様”という表彰をしてもらったときのものだった。

たまたま、子供達の運動会と重なり、かみさんの両親も新潟から上京してきた。結婚式以来、両家が揃う事となった訳だ。まぁ、、私は両親の血を引いている。出不精だ。母が上京してきたのは、、?、、?、、私が結婚してから3度くらいかなぁ、、。両家が顔を会わす機会は無いよなぁ、、。

両親を山梨経由で長野の小諸に連れて行った。なんと日帰りドライブ。昇仙峡あたりと、サントリーのワイナリーに行った?と思う。その後、小海線の側を通り、長野の小諸に行ったと思う。まだ、秋の紅葉には早かったがが、山の上を見ると、見事に紅葉しているのを観る事が出来た思い出がある。しかし、その写真は無く、最高裁判所の写真と運動会の写真だけだった。ひょっとして、思い違いかなぁ、、?

私が二十歳の頃、父の年齢は現在の私と同じくらいだ。しかし、この二十歳から会社を立ち上げる三十三歳まで、父と真剣な話しをした記憶が無い。その間、二十七歳で結婚をしたのだが、これと言って腹を割った話しをした覚えが無いのだ。

会社を立ち上げてからは、父との会話が増えた。会社経営の一般常識を聞く事が多かった。しかし、当時の父は、結構イライラしていた。兄が、自分の考えで指示せず、何でも父に聞いてくるからだ。そうさせたのは父なのに、、聞かないと怒るし、聞くと怒る。

タイミング悪く電話すると『自分で考えろ!!』と、いきなり怒鳴り、電話を切られた事が何度もある。そうそう、今年の春の決算でも、そんな事があったなぁ、、。このブログにも書いたな。あの勢いを目にする事は無く、電話で聞くだけだと、、うーーん、後5、6年は活躍すると思ったりもしたものだ。逆に、目の前で”見て聞いて”をしていた兄や姉は、どんな気持ちだっただろう。

一つ上の先輩や、同級生の女性から『孫がネェ、、』などと自慢げに言われる年齢になるまで、私の父や母は生きていてくれた。本当に有り難い事だ。

昨日、やっと一つの現場に顔を出してきた。まだ、エンジンが掛からない。

|

« 幻の宣伝カー | トップページ | 休み明けの読みは? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 幻の宣伝カー | トップページ | 休み明けの読みは? »