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2006年4月 9日 (日)

東京タワー

昨日、『東京タワー』を買って来た。今日の昼前には読み終わった。

昭和38年生まれなら、私の9歳年下だ。だが、私より先に男になったようだ。私の母は、まだ健在だ。いや、、正しくは、パーキンソン病で、誤飲肺炎を引き起こしている。胃ろうをしなければならないようだ。

泣いた、、、まいった、、。

彼よりは、相当恵まれた環境であったが、同じ筑豊から東京に出てきた者として、彼の環境は、想像できた。『あぁ、、たしか、、あいつも、そうだったよなぁ、、』と、彼と似た環境の者が、何人か思い浮かんできた。

幼稚園?の頃、母が裸足で家を飛び出していった事がある。

おそらく睡眠薬の飲みすぎか?胃洗浄をしている母を覚えている。

母と一緒の布団に寝ていた。『なんねぇ、じっとしとかんね、寝られんやろうもん!』と、怒られた。

小1の入学式、校門からグランドを横断し、校舎に貼ってある組分けのところまで、母と歩くシーンを父が8ミリに撮ってもらった。なんと、そのシーンの一部を写真データとして、結婚式の時にスライド上映した。

小1の入学後、鉛筆を削っていないのを見つけ、台所で包丁使って削ってくれた。何故か、そのシーンを覚えている。

・・・・・・・・・・。

高校2年になった頃、弊衣破帽が、気持ち?残っている学校だったからか、学生帽の後ろを裂き、髪をはみ出すよう被っていた。誰だったか思い出さないが、私の帽子の天辺を刃物か錐で突いて穴を開けた。それを母に見つかり、母は縫ってくれた。しかし、またまた、それを少し破いて被っていたら、ある時母が怒り、帽子をバラバラに引き裂いた。翌朝、きれいに縫い合わされた帽子があり、それを被って行った。

高2の夏過ぎ、家に泥棒が入った。引き続き、父の会社で経営者の父を排斥する運動が起き、父は会社を辞めた。高2から高3になる時、昼間から夜間に変わるしかない、と思った。しかし、共同経営者であった母の兄が会社を辞め、父が復活する事となった。

高3は、もう、、いい加減な気持ちだけで、投げやりだったと思う。東京に行きたいと思った。受験という言い方に逃げた東京だ。

浪人1年目、、沼袋のパチンコ屋に毎日いた。予備校なんか、、行ってない。英語の参考書など、1度も開かなかった。

しかたなく、2度目の浪人。母は、東筑高校に付随する東筑学館に私を行かせる事にしたようで、東京から帰ってきた私を車に乗せ、折尾まで行った。   しかし、同じだった。折尾の駅前のパチンコ屋と2浪仲間と麻雀だった。時には、黒崎や小倉までパチンコに行った。

どういう訳か、大学が決まり、また、東京での生活が始まった。夏休み、大学生となって田舎に帰り直方の雀荘に入り浸りだった。

大学3年の頃、建築設計の課題だけは、成績がまともだった。暮れの12月、実家の酒屋を手伝った。が、、、配達で、車を運転中、貧血を起こし、事故、、。木の電柱を1本折った。脳波に異常があり、目を覚ますと何度も同じ話をしたらしい。父は『きさぁん!事故起こしたとが、はずかしぃきやろうが!』と言われ、カッ!となって元に戻った。母は、『ふうーーん、、、また、一緒に寝ようかねぇ?』と言いながら、私の布団に入ってきた。ぼぉーっとした頭で、、『、、うぅん、、』と返事をしたと思う。

復活し、4年に成り、、卒業し、、就職し、、結婚をし、、、子供が出来、、現在に至る。

ずっと東京だ。

昨日、読んでいたところは、泣かないで済んだ。でも、今日の午前中に読んだ後半も終わり頃、、、、泣いた。泣いた。泣いた。やられた・・・。

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